ぶれずに貫いた相撲道を後進に伝えてほしい

引退に寄せて
ぶれずに貫いた相撲道を後進に伝えてほしい 坂本博之

魁皇関、長いこと本当にご苦労様でした。土俵を去った今は浅香山親方として後進の指導に当たっているわけですが、私は敢えて慣れ親しんだ名で呼ばせていただきます。

魁皇関とのお付き合いは約20年になります。同じ(福岡県)筑豊出身で、同世代ということもあって入幕した頃から注目していたのですが、共通の知人がある日、私の試合に魁皇関を連れてきてくれたのです。その時、分かったのが魁皇関の下の名も同じ「博之」。そういうこともあってすっかり意気投合。以来、食事をしたり、手紙をやり取りする付き合いが始まりました。

その交流の中で実感したのは、魁皇関の心の優しさです。こんなことがありました。魁皇関の大関昇進の祝賀パーティに招待された時のことです。私が自分の弟を紹介すると、大関は両手で弟の手を握ってくれたのです。以来、弟はすっかり魁皇関の虜になってしまいました。

私が現役時代、心がけたのは観客に感動を与えるファイトをすることでした。そして魁皇関の中にも同じ姿を見ました。どんなに体調が不十分でも、気持ちのこもった勝負をする。たとえ負けてもです。その姿勢を、私はいつも魁皇関の土俵に見てきました。

魁皇関は満身創痍の体で土俵生活を続けてきましたが、私も腰の椎間板ヘルニアに悩まされました。4度目の世界挑戦後の2003年(平成15年)には手術を受けました。医師はリング復帰に難色を示しましたが、私はそのまま引退したくはなかった。何としても、また熱い試合を観各に見せたい、という思いがあったからです。

結果的に39ヵ月振りにリングに戻り、以後、36歳で引退するまで4試合闘いました。5度日の世界戦こそ叶えられませんでしたが、いま「自分の人生の第1章は正しかった」という満足感を得ています。

魁皇関も大関昇進は新人幕以来、史上2番目のスロー出世。そして椎間板ヘルニアを含め、満身創痍の体にもかかわらず11年間、大関を務め、引退するまでに史上1位の通算勝利数を記録し、私以上に大きな満足感を持って土俵を去っていくことができたのだと思います。私が世界王座に就けなかったように横綱という頂点に立つことはできませんでしたが、ひとつの道をぶれずに作り上げてきたのが魁皇関だったからです。

私は一昨年の8月に「SRS」という自分のジムを開き、選手育成に励んでいる次第ですが、魁皇関も親方として弟子を育てていくわけですね。多くのケガを克服して土俵に立ち続けた魁皇関。そして人の心の痛みを知っている魁皇関は、必ず素晴らしい指導者となるはずです。魁皇関、いや浅香山親方とは今までのように互いに分かり合い、熱い人生を送っていきたいと願っています。

PROFILE

さかもと・ひろゆき◎1970年(昭和45年)12月30日、福岡県田川市生まれ。1991年(平成3年)12月プロデビュー。全日本新人王、日本、東洋太平洋ライト級王座を獲得し、平成のKOキング、の異名を取る。1997年(9年)、ライト級の世界王座に初挑戦も判定負け。以後、3度世界王座に挑むが、いずれも夢はかなわなかった。2007年(19年)1月の試合を最後に引退。生涯戦績47戦39勝(29KO)7敗1分。2010年(22年)8月、東京都荒川区西日暮里に「SRSボクシングジム」を設立した。