ほっとタウン 2024年4月号
荒川の人 第275回
児童養護施設との交流を続ける平成のKOキング。
今を熱く生きる「一瞬懸命」の大切さを伝えたい。
元プロボクサー/ SRSボクシングジム会長 坂本博之さん
1970年、福岡県田川市生まれ。91年プロデビュー。全日本ライト級新人王、日本ライト級王座、東洋太平洋ライト級王座を獲得。4度の世界戦に挑戦したが、惜しくも叶わず、2007年に現役を引退。2010年、荒川区西日暮里にSRSボクシングジムを開設。後進の育成にあたる一方で、自身の体験から児童養護施設への支援をライフワークとしている。通算成績47戦39脂(29KO)7敗1分
荒川区子どもの権利条例から1年。子どもたちが自分らしく、幸せになれる社会の実現に向けた取り組みが進んでいます。
一方で、警察が児童相談所に虐待の疑いがあると通告した子どもの人数は19年連続で増加。痛ましい事件も後を絶ちません。幼いころ虐待に遭った経験をもつ元プロボクサーの坂本博之さんにお話を伺いました。
二度と帰らないと誓った故郷には自分と同じ目をした子どもたちがいた
「こうした条例が必要になることが、子どもたちを取り巻く現実を物語っているようで、少し複雑な気持ちにもなりますね」と、荒川区子どもの権利条例について感想を述べる坂本さん。
物心がつく前に両親が離婚。経済的な理由で預けられた家では、暴力を受け、食事も満足に与えられなかったといいます。「授業中、先生が黒板を消そうと腕をあげただけで、叩かれるように思えて、恐怖を感じることもありました」
坂本さんは30年ほど前から児童養護施設で暮らす子どもたちとの交流を続けています。卒園した施設の現状が気になり、福岡に帰郷したことがきっかけでした。「園庭で遊ぶ子に話しかけたときの、こちらを睨みつける目が、かつての私を見ているようでした。時代が変わっても、自分と同じような境遇の子が、たくさんいることにショックを受けたのを覚えています」。子どもたちを応援したいという想いから始まった交流。
純粋な子どもたちの存在はリングで闘う大きな原動力になったといいます。
現在もジムの運営のかたわら、たくさんのお菓子を抱えて、全国各地の児童養護施設へ。言葉では言い表せない、さまざまな思いをミットにぶつける、ボクシングセッションという手法で子どもたちと対話を重ねています。
伝説の一戦から四半世紀果たせなかった夢を愛弟子に託す
現役時代の戦法は、前に出て接近戦に持ち込むインファイト。「平成のKOキング」の異名をもつハードパンチャーとして、その名を轟かせました。2000年に行われたWBA世界ライト級王者・畑山隆則との死闘は、今なお語り草になっています。
引退後は西日暮里駅近くにSRSボクシングジムを開設。会長を務めるジムから世界王者を輩出することは、あと一歩のところで王座に届かなかった坂本さんにとっての悲願です。愛弟子・苗村修悟選手は、施設でのセッションがきっかけでプロを志したといいます。「今でも悔しさはありますが、そこで立ち止まることなく、負けた事実を受け入れ、人生のプラスに変えていこうと思えるようになりましたね。子どもたちにも、つらいときこそ、勇気を出して一歩前に踏み出してほしいです」
常に前へと突き進むファイトスタイルは、53歳となった今でも健在です。日々、奮闘を続ける坂本さんが大切にしているのが「一瞬懸命」という考え方。「私なりの解釈ですが、『一生』頑張り続けるのは根気がいるし、疲れますよね。ならば、せめて今、この瞬間だけでも頑張ろうよ、と声をかけています。一命の先には笑顔しかありませんから!」
みんなが手を取り合うやさしい街であってほしい
「いつか荒川区の高齢者のみなさんとボクシングセッションをやってみたいですね。若い人たちには困っているお年寄りを見かけたら、自然と手を差し伸べられるよう、人間力を磨いてほしい。人を敬うことができれば、人を傷つけることはありません。そのためにも『自分がされて嫌なことは他人にしない」という、当たり前のことを地域全体で子どもたちに教えていく必要があると思っています」
日本人初の世界王者・白井義男さん生誕の地でもある荒川区。ボクシングと緑のある、あらかわを拠点に、今という瞬間を熱く生きる坂本博之さん。児童虐待の負の連鎖を断ち切る聞いに「引退」の二文字はありません。