立ち上がった不良だった僕

朝日新聞 2024年(令和6年)2月1日(木)

浪速少年院で元在院生・渡辺大将さん講演

かつて浪速少年院(茨木市)に在院した男性が、講師で「里帰り」した。非行を重ねた不良だったが、入った少年院での運命を変える出会いから、プロボクサ

ーに。今は海外でトレーナーなどをして暮らす。

1月17日、浪速少年院「子どもの頃からまともに学校に行ってなかったので、ここは僕の母校のようなものです」。渡辺大将さん(32)は、在院した当時知る職員らと再会し、喜んだ。訪れたのは実に14年ぶりのことだった。

浪速少年喨には現在、18 ~20歳の約70人が在院しいる。講演で招かれた渡辺さんは、教室に集まった完生たちを前に、「僕も君たちと一緒でした」と語り出をした。

奈良市出身。家庭環境が複雑だった。「どうしようもない不良だった」という。バイクを盗むなどの非行を重ね、浪速少年院に送られた。

約1年、在院。その中で、生き方を決める転機があった。

2010年2月、「平成のKOキング」と呼ばれた元プロボクサーの坂本博之さん(53)が浪速少年院を訪れた。引退後、子どもの心のケアなどに取り組んでおり、そうした活動の一環での訪問だった。

元ボクサー坂本さんと出会い「運命切り開け」

坂本さんは幼少の一時期を、福岡市の児童養護施設で過ごした。ボクサー時代は日本、東洋太平洋王者。戦績は39勝 (29KO)7敗1分けで、世界戦には4度挑戦したが、届かなかった。だが、強打で「打たれても前へ」というスタイルが、生き様とも重なり、多くの人の心を動かした。

坂本さんは「自分自身で運命を切り開いていけ」と話したという。それまでポクシングに興味がなかった渡辺さんは「心が震えた」。そして「坂本さんみたいになりたい。外に出たらボクサーになろう」と決めた。目標ができると、生活態度もまじめになった。

18歳で出院し、メキシコでの武者修行を経て、プロデビュー。けがなどもあり、戦績は3勝(1KO)7敗1分(日本ボクシングコミッション非公認試合を含む)で終わった。その後、再びメキシコにわたり、スペイン語を独学しながら、首都メキシコ市のテピート地区でトレーナーなどとして活動する。

テピートは治安の悪さで知られ、「警察にも頼れず、自分で身を守るしかない」と渡辺さん。しかし「ここで教えられるのは、いろいろな経験をした自分だけだと思う」と語った。

講演後、在院生の代表は「経験者の方の言葉には説得力があり、ここでどう過ごすかが未来を決めると思いました」と話した。

渡辺さんは、今後も院での講演を続けたいと思っている。それが院への、そして坂本さんへの恩返しになると考えている。

日本に一時帰国した昨年10月、真っ先に坂本さんが会長を務める東京・西日暮里の「SRSボクシングジム」を訪れた。

選手たちの練習を見て、ジムが閉まるまでいた。坂本さんは最後まで残り、「俺は会長という立場だけど、会長が一番下だと思っている」と語ると、隅々まで掃除をしていたという。

その姿に、渡辺さんは闘志をかき立てられた。「坂本さんは夢を与えてくれる存在。自分はまだまだ遠く及ばないな、と」。前を進む大きな背中をめざし、近くまたメキシコにわたる。

(伊藤雅哉)