朝日新聞 2010年(平成22年)11月14日
おやじのせなか
最初で最後の腕相撲
僕が生まれたのは福岡県川崎町。1~2歳ごろに両親が離婚し、母方に引き取られました。母の仕事が安定するまで弟とふたり、知人宅に預けられて虐待されたり児童養護施設に入ったりした。父親は写真も見たことがありませんでした。
ところが中学1年の夏休み、盆踊りの時に母から突然、「この人、あんたのお父さんよ」と紹介されました。僕と同じく色白で、顔も似ていた。翌日、喫茶店で話をしました。おやじは「事情があって別れたけど、元気な姿を見てうれしい」と。
強くなった自分を見てほしくて腕相撲をしました。中学では先生にも負けたことがなかった。でも、びくともしない。「中学生の割には強えのお」と笑われました。「やっぱりおれのおやじだ」と確言しました。強くてうれしかった。これが最初で最後の出会いでした。
15年後、2度目の世界挑戦の前噌戦の1週間前、おやじが突然、ジムに電話をかけてきました。「お前に会いたか」。そして「ごめんな」と。僕が出たテレビ番組を見て初めて、施設への入所や虐待の事実を知ったらしい。ただ、大事な試合の直前だったので、試合が終わったら会おうと約束して電話を切りました。
試合は1ラウンドKO勝ち。胸張っておやじに会えるし、色々な思いを聞き、自分の思いを知ってもらおうと思った。でも試合後すぐ、電話の3日後に亡くなったと伝えられました。おやじは病気で、電話をかけたのが最期の力だったそうです。
亡くなってから色々なことを知りました。建設業関係で働き、僕たちがいつでも帰れるようにと再婚しなかったそうです。入れ墨をした人から「あんたのおやじは強くて歯が立たんかった」、タクシー運転手からは「からまれた時に助けてくれた」と聞かされました。田舎では「あんたのお父さんなら、世界チャンピオンになってるよ」と言われます。
おやじは超えたいんだけど超えられない、でっかいイメージ。僕も、傷ついた子どもたちを受け止められるでっかい兄ちゃんでいたいと思います。
(聞き手・斎藤靖史)
さかもと・ひろゆきボクシング元東洋太平洋ライト級王者。 「平成のK0キング」と言われ、世界タイトル戦に4度挑戦したが届かなかった。引退後、全国の児童義護施設を支援する。東京にジムも開いた。39歳。